14 〜後日の段。後編
突然、ポートマフィアが仕掛けた罠に搦めとられ、70億の懸賞金目当てに誘拐されかかるという、
物騒さではどこにも負けなかろうと高をくくっていた貧民街に居たころよりも
途轍もないスケールでの突拍子もない目に遭ってしまい。
その一件のお陰様、
探偵社の人間としてのやや微妙な常識やら度胸やらも身についた気がして来たところで、
ひょんな相手と平日の昼下がりというひょんな間合いで再会した芥川だった。
「今日はキミらのいうところの“非番”なんだ。」
偶然、街なかでかち合ってしまったポートマフィアの特殊工作員くんは、
あの騒動の後半で着替えたという 白いシャツに黒いクロップドパンツという、
初夏向きのそれはさっぱりしたいでたちをしており。
サイズが合っていない長外套をずるずるバサバサと羽織った格好の芥川の方こそ、
傍目には ずんと怪しい装いかもしれぬ。
にこぉと屈託なく微笑う朗らかさに誘われた格好、
こっちこっちと付かず離れず、それは巧みに誘われて、
二人して辿り着いたのは高架下の運河沿いの遊歩道。
高架と言っても商業施設同士を結んでいる立体交差になった歩道橋のようなそれなので、
ちょっとしたバルコニーの下という雰囲気、日陰の仄暗い空間ということはなく。
平日だからかそれとも奥まっていて判りにくい一角だからか、
テラコッタ風のレンガを敷かれ、海へとそそぐ河を眺められるようベンチまで据えられてあるのに
他には誰の人影もない一角であり、
「さすがはイケメン調査員さんだね。
通りすがりのお嬢さんたちが“誰かしらカッコいい”なんて注目し倒していたよ?」
身内が褒められたかのように、嬉しそうにそうと言う彼なのへ、
意表を突かれて、何を言い出すのだとややたじろいだ芥川だったものの、
「先日は巻き込んでしまって済まなかったね。」
改まったようにそうと言われ、
淡色の眉を下げる相手へ こちらもまたやや困ったような鼻白んだような顔になる。
「それは、まあ…そういう組織なのだろうし。」
マフィアといやぁ悪事を手掛けるのが義務とまではいわないが、
それでも強引な手口や無理強いなどなど 自分たちの利益や面子のためならば、
法規や公衆道徳など知ったことかと振る舞って当然の組織だろうにと、
不法行為を認めてやるわけじゃあないが、それを相すみませぬと謝る方が奇異なこと。
そう、この白虎の少年に対しては、
出会いのあの時からずっと、何かどこか違和感を感じ続けていた芥川でもあって。
「むしろ、貴様の言動にこそ奇異なところがある。」
マフィアの人間ならば、上からの指令は絶対なはずで。
コトの善悪はひとまず置いて、首領に命じられたそのまま強引に芥川を略取し、
そういう取引を構えていた組合とやらに渡すのが筋だったはず。
だが、結果としてこの青年はそんな運びへの妨害ばかりしていたし、
途中から 鏡花という少女を餌にされて振り回され、
却って事態がややこしくなっていた辺り、
探偵社の側にいる太宰への気遣いのためだけとも思えない。
「どうして助けた。」
単刀直入、どうかすると言葉足らずにそうと問われて、
ほんの刹那、へ?という顔を仕掛かったものの。
相手の意を酌むのは得意なものか、
そんな芥川が何を“どうして”と訊きたいのかは把握できてもいるようで。
「う〜ん。鏡花ちゃんに余計な罪を重ねてほしくなかった、かな?」
「それだけか?」
間髪入れずに追及されたのへ、
鼻の下を拳の角でくすんと擦り、苦笑を誤魔化しつつ、
「…キミにも多少は思うところがありました。」
今度こそ正直なところをやんわりと吐露する。
太宰に恩があったとしてもそこは居場所をたがえた同士、
しかも太宰本人へ降りかかる火の粉じゃなし、
このくらい防げないようでは探偵としてもどうかということで
見捨てていいとするのがコトの順番だったはず。
だというのに、この虎の少年は最初の仕掛けからして
芥川を連れ去ろうとは思っていなかったとしか思えないほど
その段取りにまだるっこしさが見られたし、
そうやってこちらを翻弄しているものかと苛立ったものの、
のちにようよう思い返せば、樋口という部下が銃を使ったのから庇うところがまずおかしい。
多少の怪我くらい想定内とし、有無をも言わさず連れ去っていい案件だったはずだろうに、
誰も傷つけないようにと立ち回っていたその上、
どうしてか説き伏せるという格好で付いて来させようとしてはなかったか。
「やつがれは擂鉢街の出だ。
よって、性善説というものは信じてはいない。
生まれつきそういう教育を受けている、そこいらにあふれる善意の者ならいざ知らず、
裏社会に身を置き、そこで身を立てている人間が、
何かしら魂胆なり思惑がないまま度を越した助力など出来ようはずがない。」
「…う、はっきり言うねぇ。」
余りにつけつけと言い尽くされたせいか、虎の少年は怖気るように身をすくめる。
見た目がそりゃあ無垢な聖少年風の人物なだけに、
何だかこちらこそ悪人な振る舞いをしたような気分にもなりかかったものの、
いやいやいや、そういうところもマフィアなら計算づくで振る舞えようよと気を取り直す芥川へ、
“用心深いのは悪いことじゃあないけれど、直に訊いちゃうところはちょっと甘いかな。”
敦の方は方でそんな感想を い抱いていたり。
それに世間が狭そうに見えて結構鋭いし柔軟性もあるなとも思った。
巻き込まれていた側だというのに、
何が起きたか、敦の立場は…というところまで見通している彼だと判る。
「確かに、下手を踏んだには違いないよね、」
略取対象へ同情したか、他に思惑があったのか、そこは まま置くとして、
積極的に尽力するのは気が引けるにしても、
だったら何もしないという選択をして探偵社の陣営が奮闘するのを見てりゃあいい。
なのに、あの最初の邂逅で
“取り逃がしました”なんていう、らしくもない、しかも結構派手めな失態をご披露したことで、
却って探偵社のみならず裏社会へも懸賞金の噂の裏付けをした格好になったそのまま、
話は妙な方向へと捩れに捩れたその上、
他人の上前をはねようとした下衆な輩に危うくあの少女と芥川との双方を掻っ攫われるところだった訳で。
“う〜ん、そこはボクも考えてなかったって言うか、親方が一枚上手だったというか。”
鏡花ちゃん引っ張り込むなんて大人って厭らしいよな。
挙句、組合との取り引き云々とは全く別の事案だった βが暗躍していたの、ボクに炙り出させたわけだしさと、
なんかもう一枚裏があったらしかったがそれは置くとして。
「ぶっちゃけて言うなら、太宰さんが何かしら手を打ってるはずだと睨んでた。」
港町だからだろう、初夏の風は潮の香りが強く、
だが、見回す周囲の風景はどこも人工的で、この街ならではな微妙な素っ気なさに通じており。
そんな街で血縁のないまま育ったらしい彼は、自分のことなのにいやに淡々と語り続ける。
「4年前に失踪してからこっち、それは見事に身を隠していてね。
武装探偵社なんて軍警かかわりなところにいたなんて意外にもほどがあったけど、
マフィアの動向を探るには勝手のいい所でもあるし、あの人らしいなって思いもした。」
くすすと笑った顔はちょっとだけ、身内のことを話すのが楽しいように見え、
あの時、どうしても助け出したいと、
自分を大切にしない節がある子なのを放っては置けないと説いた太宰が
決して置き去りにしたわけじゃあない
むしろ気にかけていた存在であることをそのまま表していたのを、
あらためて彷彿とさせるつながりのようなものさえ感じ取れ。
そういう間柄だからこそか、
「ボクがそれと気づいたのもちょっとした偶然からで。
異能のおかげで文字通り 人より目や鼻が利くから気が付けたって感じかな?
それもあって、そこにボクらが気づかぬままで手を伸ばせば、
どんな搦め手を使おうとあっさり気づいて、
どういうつもりかとこっちの心胆を探るだろうって思ってた。」
案の定、君が倒れたあとだったけど、あの路地裏へちゃんと駆けつけて来たしねと、
しょうがない人だよねと言いたげに肩をすくめて見せ、
「本当はいけないことだったけどね。
ウチが構えた君への略取計画の話をした。
というのも、もう聞いたと思うけど君へと構えた誘拐計画は、その基盤が実は怪しくてね。」
そうと続いたのへ、ああと芥川にも思い当たるところがある。
組合とやらからの依頼は“その身へ飢獣の性を降ろす異能”であり、
自分の羅生門のような、獣もどきを生み出して操るというのでは随分と違ってくる。
それに近しい異能といえば、目の前のこの少年が持つ月下獣のほうではないかと、
芥川が気付いたように彼自身も薄々気付いてたらしく、
「もしかしたら話が違うと交渉決裂になりかねない危うさだったし、
そうともなれば
すべて知られたからと 君は用なしになったからってだけの理由で消されかねない。」
ウチの面目にも結構な打撃になる間違いだし、
能なしと勝手に罵られるくらいは何とでもあしらえるけれど、
もしかせずともボクを庇ってのことならそれはちょっと居心地が悪い、と。
先んじて拾えたそれらのマイナスファクターを数え上げ、
手摺と転落防止用だろう、川べりに添うてしつらえられた胸元近くまである柵に腕を引っ掛けると
その上へ小さな顎先を乗っける敦で。
少しばかり猫背になった彼は、年相応の少年ぽく見えて、
事態の錯綜を読み取り、いかにもな懸念を語ったマフィアの構成員だというのが絵空事のように思えたほど。
そんな懸念があっての行動だったというのに嘘はなかろうが、
ふとこちらをちらりと見やって付け足したのが、
「太宰さんの部下なのでしょう?」
「ああ。」
「だったらボクのおとうと弟子になるんだなぁって。」
けろりと言われて、ついつい “はぁあ?”とぞんざいな声を返した芥川。
「…っ、歳は。」
「18です。」
「年下じゃないか。」
「え〜? こういうことは実年齢じゃなくキャリアだよぉ。」
アハハと軽やかに笑った彼が、ちょっとだけ元気になったような気がして。
そしてそれへどこかでホッとした芥川としては、
「キミこそ何であの場で引き返してきたの? 君をこそ案じる人がいるのに。」
「ふん。」
同じ社に務める同僚がという以上、肉親というお身内が居るのでしょうにという含みを感じ、
ああやはり油断も隙もないなと、だが、
ちりりとした警戒ではなく、悪戯の延長のような小気味よさとして受け止めてもいる。
太宰さんが放ってはおけないと言ったから…ではあるが、
実を言えば自分でも後ろ髪を引かれていた芥川だったらしく。
だからこそ、
『何をぐずぐずしている。皆して貴様を待っておったのだぞ?』
そうと叱咤の声をかけてしまったのでもあって。
そんな内心が透けていたものか、そうと訊いた敦らしいのがこいつは…と小憎らしく感じたものの、
『やつがれには銀が居ました。よって、どんなに過酷でも耐えられた。』
実をいうと同じことを太宰からも訊かれている。
喫水の高い貨物船の甲板へ戻るには
結構な重量でも自在に支えられる彼の異能があると至便というのは後付けで、
攫われるは脱出してくるは、それは疲弊しているだろう当事者だった彼なので、
キミはそのまま此処で休んでいなさいと言われたものを、いや大丈夫ですと押し切ったのは自分であり。
一番最初の邂逅で誘拐する側として登場した敦であるのに、
それを救いに行こうという自分へ何故ついて来たんだいと訊かれ。
もう答えは判っていように訊いているなと薄々感じつつ、愚直にも思ったまま応じていた。
『誰ぞに同情するような気構えは 未だ持ち合わせませぬが、それでも…。』
『放ってはおけない気がした?』
上手くは言えぬが、孤独だ独りだなんて傲慢な想いしか知らないままで逝くのはどうかと思った。
らしくもなく太宰が浮足立ったように、あのマフィアの幹部殿がああまで案じていたように、
彼の周りにも彼を大切だと思う人たちは たんといるのにと、そうと思うと居たたまれなかった。
日頃は怠け者で、気遣いもないまま大雑把な物言いもしないでないくせに、
それが同情というのだと、大雑把に断じられたくはないなぁと感じた芥川なの、
上手に掬い取ってくださった先達は。
同性でも惚れ惚れしそうな優しいお顔をほころばせ、
それは柔らかく笑って、いい子だねぇと大きな手のひらでこちらの頭をポンポンと撫でてくれ。
あのような環境下では自分の身をこそ護るのが基本とされつつ、か弱い妹を庇い続けた幼子の愚かさを、
それで間違ってないよと肯定された気がした。
「銀が、妹が待つ身だというのはいつだって思わないではないこと。
ただ、それが弱みになるとよく言われたが、そうは思わなんだし、
こんなところで勝手に死んではならぬという支えになったゆえ。」
貧民街に居た頃も異能は唯一の武装として使いこなしていたけれど、
せいぜい派手に出血して相手が自分から怯むよう、顔や頭を狙ってちょいと切るだけで済ませたのはなぜか。
大それたことをすればそれだけ追っ手はどんどんと気負って重くなると知っていたからだ。
守りたいものがあるなんて、非力な自分には生意気で贅沢なこと、
それでも唯一無二の家族として守りたかったのだし、
諦めるなんて知らないままでいられたほどに、いつだって意気地を支えてくれた存在だった。
「家族ってすごいね。」
そんな言葉を返した敦は、だが、寂しそうな顔ではなく、
自分には持てぬものなのをすっかり悟った諦念というより、どこかくすぐったそうな含羞の笑みを浮かべていて。
「ボクは知っていると思うけれどみなしごで。天涯孤独なのにはさすがに慣れていたし、
自分なんてどうなったっていいって覚悟をしやすいからいっそ助かるなぁなんて思ってた。」
太宰が案じていた通り、自身を大事にしないどころか駒扱いにさえしかねぬ危険な子であったらしく、
ただただ可愛がってくれる人たちの迷惑にならぬように、がっかりさせないよにと
それだけが甲斐のようなものだったようで。
「でも、」
少しほど弱々しい口調で付け足された “でも”の先、やや躊躇したのを促すように視線をやれば、
「今回の騒動で鏡花ちゃんを探し回ってたあの日はさ、
なりふり構わなかったし後先も考えていなかった。
もうダメかって頭の皮の中がチリチリするほど追い詰められても、
こんなところで立ち止まっちゃあいけないってしゃにむになれたし、
大きな怪我を負っても死ぬわけにはいかないって奮起できた。」
結構物騒な話だというに、口許をほころばせ、何だか嬉しくてたまらぬという顔をする虎の子であり。
「誰かのために捨て駒になるって、もしかして無責任だよね。
後は任せたじゃあなくて、石にかじりついてでも生き延びて
ほら平気だよって顔を見せなきゃあ、その人は喜ばない。
自分のせいでって思い続けるかも知れない。
命が惜しいんじゃあなくて、
だから、諦めちゃあいけないんだなぁって、初めて分かったんだよね。」
自分の身で知らなきゃ判らないなんて、やっぱりボクってまだまだなんだなぁって。
そんな風に言ってくすすと含羞む彼が、
どれほど物凄い工作員なのかを知っていてもなお、
まだまだ未成年の少年なのだなぁとしみじみ感じられた芥川だった。
to be continued.(20.07.28.〜)
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*理屈ばっかの章になっちゃいましたね。
このお話の敦くんは生きることに前向きじゃあないので、そこが何だか違和感でしたが、
この騒ぎで何とかなりそうということで。
もうちょっとだけ続きます。よかったらお付き合いを…。

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